バスケットボール チームの作り方(特別編)
どうも、じょにおです。

今回はバスケチームの作り方特別編ということで、私がバスケチームを作って今現在までどうやって続けてきたのかをお話していこうと思います。
作り始めからズラッと経緯を綴っていきますので、実際にスポーツのクラブチームに入っている方や入ろうか悩んでいる方、スポーツに興味がある方は読んでみてください。
バスケチームを作った経緯
・2012年8月20日 バスケチーム「ocean’s」を結成
結成する前は、専門学校に通いながら日々バスケがしたい衝動にかられる毎日を送ってました。
我慢ができなくなりバスケのクラブチームというものを自分で調べて初めて参加しました。
久々にバスケができる楽しさと社会人とやる初めての雰囲気が新鮮で面白かったのを今でも覚えています。
その気持ちと同時に、自分のチームでできたらもっと面白いだろうなと思いチームの作り方を模索し始めます。
参加しているクラブチームの人に聞いたりネットで調べたりしてチームを形作っていきます。

場所・人数を整えて無事に「ocean’s」を結成します。
・試合ができない日々
結成当初は6人のメンバーでスタートだったので5:5が出来ない日々が続きます。
それでも私自身ただバスケがしたいという気持ちが強かったので最初はそこまで気になりませんでした。
だが、徐々に回数をこなしていくうちに試合がしたい欲も高まっていき、このままじゃ一生試合ができないと思いネットでのメンバー募集を始めます。
・メンバー増員
メンバー募集して2か月経った頃、ネットの募集サイトから連絡が来ました。
ocean’sに参加してみたいとメッセージが届き、この最初の連絡には思わず「よしっ!」と独り言を言っていました。
それほど自分のチームに興味を持ってもらえるのが嬉しかったんですね。
最初にメッセージを貰ってから定期的に新しい人から連絡が来るようになりました。
そして、結成して半年経ったころにはメンバーが15人近くになっていました。

なぜだか参加希望の連絡が止まらなかったんですね。メンバーにも謎のカリスマ性があると言われてとてもありがたかったですね。
・結成2年目の出来事
メンバーが増えだしてから運営も安定するようになり、楽しくバスケができていました。
バスケ以外にメンバーと遊ぶ機会が増えてきてocean’s内の仲は更に深まっていきました。
ただチームといっても色んな人が集まっているので、良いことばかりではありません。
副業の勧誘や色恋沙汰も何度か起きていました。
そういった事が起きてしまうと今後のチームの士気にも関わるし、起こした本人がチームに残るかどうかというのもシビアになっていきます。
結成2年目はそういった出来事が起きて、良くも悪くも自分としてもチームとしても経験にはなったなと思いました。

・結成3周年記念パーティ
結成して3年経った頃にはメンバーが30人を超えて大所帯になりました。
練習は毎回20人前後集まってくれて皆で騒ぎながらワイワイバスケをやってました。
そして日頃の感謝を込めて2015年8月20日にお店を貸し切って結成3周年記念パーティをしました。
なんとそのパーティには30人集まってくれて景品付きのゲームなどをして非常に盛り上がりのある会になりました。
そこでちょっとしたサプライズで、参加してくれた人全員に感謝の手紙を書いてお渡ししました。
最後に代表の私の言葉で締めくくることになったんですが、嬉しくて思わず泣いてしまったんですね。
中学から一度も泣いたことはなかったんですが、ここで久しぶりの感涙をしました。良い人に恵まれているのとお店を貸し切ってパーティまでできるチームになるなんて思わなかったので感謝の思いでいっぱいでした。
この頃から自分の個人的な目的が、「ただバスケを楽しみたい」→「参加してくれる人にocean’sでバスケを楽しんで帰ってもらいたい」と変わっていきました。
最初は自分がバスケができればいいと思って周りをそんなに気にしてなかったんですが、練習を重ねるうちにメンバーから感謝されることが増えてきて、これは自分のためだけにやってたら良いチームにはならないと思い考えを変えて行動することになりました。
・安定期
結成して3年を超えてからocean’sの活動は順調になり、毎月でイベントをやるまでになりました。
飲み会、BBQ、クリスタリアというバスケの大会などをやっていきバスケな日々を送っていました。

・コロナウイルス

その感じで4年、5年と続けていき1年ごとに結成記念飲み会を開いたりしてました。
そして結成9年目を迎えた最初のころに猛威は襲ってきました。
それは「コロナウイルス」です。
今現在も感染拡大しており第7波、第8波まで続いています。
このコロナが流行りだしてから全国的に流行るまでそう時間はかかりませんでした。
その影響は、仕事の他にスポーツにまで影響を及ぼしました。
そしてocean’sで借りている場所もコロナ対策で使用が禁止されてバスケ活動ができなくなってしまいました。
ただこれはどうすることもできずにただ収束するのを待つしかありませんでした。
ある程度収束して場所の使用が解除されて使える状態なっても、またすぐに感染拡大して使えなくなる、の繰り返しでした。
気づけば満足にバスケができない日が1年ほど経っていました。
正直、何もできない自分に悔しさでいっぱいでした。
別の場所で無理やり活動しようと思えばできたと思います。
ですが、もしそれでコロナに感染してしまったらと思うと迂闊には動けませんでした。
そして、その場で足踏みをすること2年弱。だいぶ感染が落ち着き始めたころには、今まで通りに活動はできなくなっていました。
その場しのぎで何回か練習できてもすぐに間が空いてしまい、メンバーと会える時間も減っていきました。
・苦渋の決断
感染が拡大してる頃には自分の仕事も安定しなくなってきて環境を変えざるを得ない状況になりました。
今まで私はバスケを一番に考えて生きてきたんですが、自分の生活のことを考えることも大事になってきました。
そして、苦渋の決断で環境を変えることを選びました。
正直、バスケ出来ない期間がだいぶ空いてしまって前みたいには活動できないと思ったと同時に、環境を変えるチャンスとも思いました。
そして活動場所を相模原→藤沢に変える決意をしました。
仕事は知り合いに紹介してもらった場所に転職をして引っ越しもして完全に藤沢に移住することにしました。
そして記事を書いている今、この行動は良い方向に行ったと思っています。
バスケは相模原のメンバーとは別に、藤沢でも集めることになり現在14人ほど参加してくれています。
トータルでメンバーは45名になっています。
すごい人数ですがほとんどが相模原メンバーなので、参加人数はそこまで多くありません。
でも、最初の結成当初の気持ちを忘れずに奮闘したいと思います。
ocean’sは昨年、結成10周年を迎えています。
今後のこのチームを良い方向に作っていくのは今いるメンバーであり、その舵を切っていくのは私の役目です。
「バスケを楽しむ」この気持ちだけは忘れずに今後もバスケ活動を続けていきたいと思います。
皆さんも、今やっていることで悩んでいたら一度立ち止まってみてください。
そして最初の頃の気持ちを思い出してみてください。
背伸びせずに一歩一歩進んでいけばいつか目標の場所にたどり着けます。
私もメンバーのために心地よい場所を作れるように頑張っていきます。
読んでいただきありがとうございました。
よければバスケチームの作り方の他の記事もご覧ください。
何か役に立つことがあるかもしれません。
バスケチームの作り方(絆編)→→→ https://jonylife.com/post-380/
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